出産レポ

2009年04月10日

4●それから4日間は

また「パラダイス」な生活に戻った。また何かトラブルがあるかもしれないし、と、退院も許されず、ただ、陣痛or破水がくるのを待つのみ、の日々。
3歳の娘は昼間は保育園におり、その他の時間は、祖母や父親にたっぷり甘え、私の妹の家(彼女の従兄弟もふたりいる)に泊まったりもして、楽しく遊んでいたようで、赤ちゃんがえりも特にないようだった。気丈なもんだ。こっちが寂しくなった。

そして予定日を翌々日に迎えた3月23日に主治医との面談があった。
「明日、下剤を飲んで陣痛を促進してみましょう」。
下剤で陣痛促進、なんて初めて耳にした。初耳、ってやつだ。
『ひまし油』という、油を飲むんだという。
ひとり目妊娠中に子宮筋腫の核出手術をした際、一度お腹を開いた私には、陣痛促進剤は使わない方がいい、とのことだった。
そのかわりに下剤、だ。腸をキレイにして、赤ちゃんが下りてきやすくするんだそうだ。なんとなく、イメージできる促進方法だなあ、と妙に納得はしたのだが。下剤とは。


5●予定日前日

WBC決勝の日。朝から陣痛部屋に移動した。ふたり部屋だが、他に人はいず、完全個室状態。
入院してから何枚目かのテレビカードを購入し、WBC観戦体制を整えた。
そして、次に腸を整えた。
すごい。『ひまし油』の食感は、まさに油であった(味を楽しむのは極力避けた)。100mlくらいだっただろうか、ゴクゴクと胃へ流し込んでものの15分もしないうちに、私はトイレへ直行。その後、昼食をはさんで、4~5回、トイレへかけこんだ。
いやー、にしても、WBC。普段、全く野球などテレビで見ない私のような人でも、こぞってテレビに釘付けになり、この感動のドラマを目の当たりにしたのだろう。ちょくちょく様子を見にきてくれる助産師さんも「どうなってます?」とゲームの行方が気になっていたようで、私のテレビでチェックし、ナースステーションにて報告、皆で盛り上がっていたそうだ。
なんだか見ていられないようなシーンになると、私はすかさずNHKヘチャンネルサーフィンし、高校野球を見て心を落ち着けた。高校球児たちもほんとはWBCが気になって気になってしかたないんだろうなあ、とその気持ちを共有しながら。
優勝が決まった瞬間。泣いたでしょう、これは。誰でも。ナースステーションにすぐ報告に行こうと思ったけど、行けなかったもの。泣いちゃって。

そんなこんなであっという間に夕方になったけれども、まったくお産が進んでる様子はなかった。
次の手はこれであった。
「お風呂入りましょう」
檜風呂に湯がはられ、私はそこであほみたいにボケーッとお湯につかった。
温めることで、子宮を収縮しやくするんだそう。これは本で読んだことがあった。本では、お腹が張りやすくなるので、長風呂はやめましょう、みたいなことが書いてあった。下痢とか長風呂とか、通常の妊娠生活中ではややタブーなことを次々と試してる感じだ。
しかし、風呂、気持ちよかった。

夕食も終え、引き続き陣痛部屋は個室状態。ゆったり、ゆっくり。ほんとうにのんびりと過ごしたこのパラダイス生活も、もうそろそろ終りを迎えようとしていた。
夜7時。ロンドンハーツ10周年記念スペシャル。個室なので、多少声を出して笑えたのがよかったのか何なのか、お腹の張りが頻繁になってきた。が、まだ痛みはない。引き続き、ロンドンハーツ。10時の終了を前に音楽番組にチャンネルを変えた。嵐だ。嵐は5人とも可愛いなあ。可愛いなあ、と思った瞬間くらいから、あれ、ちょっとお腹痛いかも。と思い始めた。助産師さんを呼んでNSTをつけてもらい、様子を見ることに。

あっという間であった。痛みはきちんとした痛みとなり、間隔も10分きっちりになり、
「分娩台のほうが落ち着きますから」
と、本格的な痛みを迎える前に移動した。

年度末だからか、空いているらしく、ほぼ、分娩部屋は空いていたようだった。だから、静か。
分娩台にペットボトルのお茶と携帯を乗せて、痛みの間に交互にそれら手にとりながら、飲んだり、メールしたり。
そして、もちろん、配偶者に電話をかけた。電話をかけたのだが繋がらない。家にも携帯にも繋がらない。11時くらいから、2時間以上、かけ続けたのだが、繋がらない。
「絶対、寝ている。娘を寝かしつけて、そのままテメエも寝ている」
というのが私の推測であり、真実であった。まあ、出産が夜中になったらひとりで産むつもりでいたのでいいのだが、電話が繋がらないとは思わなかった。
11時半頃、メールをくれた友だちと電話で話をしていたころには、かなり痛みも強くなり、ああ、もっと痛くなるんだっけなあ、この程度ならいいのになあ、と思うくらいの余裕があったが、甘かった。痛みを超えた痛み。腰が割れそう、ではなく「絶対割れるから早く産んでしまいたい」と思う痛み。助産師さんがマッサージしてくれるも、残念ながら上手なひととそうでないひとがいて、上手なひとにその場を離れられると、どうしようもなくなって、痛い、痛い、と声を出して呼んでしまう。

夜中2時を過ぎ、「まだイキんじゃだめですか」と問うと、「破水するまで待ちましょう」との答え。
そのとき、携帯電話が震えた。配偶者からの電話だった。声を殺しつつ、「いま、もう痛みのピークだからいつこの電話を手放すかわからなくってよ」と言ってる最中に、もう叫びに近い声が出ていて、そして、次の瞬間なんと、破水した。
「破水したから切る!」と電話をたたみ、さっそくイキみ体制。こんなに痛かったっけ?こんなに痛かったっけ?とだまされたような気分になりつつ、とにかく早く出したい、とイキむ。「へその緒のことがあるから」と前回同様、また鼻に酸素を注入させられながら、そして、今回は絶対叫ぶまい、と思ったのに全くダメでぎゃあぎゃあと叫びながら、破水して30分後、赤ちゃんは出てきてくれた。
「終わった・・・」
ほんとうに、ひと仕事、である。出産とは、とてつもない大仕事である。仕事を、終えた。お疲れさまだ。

希望どおり、カンガルーケアをし、初乳をあげ(大きく産まれたからか、飲みっぷりはベテランの域だった)、しばらくして、助産師さんが赤ちゃんの体重やら身長やらを計ってくれた。
「大きい赤ちゃんですね」と助産師さんが体重計に入った赤ちゃんを目の前まで持ってきてくれた。その数値をみて、もういちど、疲労が私を襲った。体重計には3600という数字が赤く輝いていたのだ。
「どうりで・・・もう、臨月は歩けないほど重かったのです」と助産師さんにため息まじりに伝えると、152cmという小さな私のなかによくぞ入っていた、よくぞ下から産んだ、と褒めてくれた。
そして、はたまた前回同様、私は貧血となり、車いすで病室へ戻った。

この病院は24時間母子同室で、もっとひどい貧血になった前回は、赤子を預かってはくれず、立てない私にいきなり添い乳を教育した、スパルタな病院である。が、今回は前回ほどひどくはなかったのに、病室にはいる前に4時間も預かってくれた。助かった。高齢出産にはありがたいことであった。3年前より優しくなってた。

6●赤ちゃんとの入院生活

出産日を含め6日間の入院生活は、私にはとても特別なものであった。ほんとうは、トシもトシだし、産後は体を休めようと、母子別室の病院を最初は希望していた。が、一度お腹を切っていても自然分娩で産みたいという希望をかなえるため、3年前と同じ、この病院に変更した。
正直、24時間母子同室合宿かあ、と変更を決めたときは少々気持ちは落ちたが、ふたり目という余裕も手伝って、24時間べったり、赤ちゃんのことだけ考えてればいい、という時間はなんだか、とても温かい時間であった。

授乳は自分のベッドであげてももちろんいいのだけど、私はこの病院の授乳サロン(授乳やおむつ替えが出来る共有スペース)が大好きで、今回も多いに利用した。
ここは、ゆったりと音楽が流れる広々としたこの空間で授乳すると落ち着く、という同じ思いのママ(赤ちゃんもここへ着くと泣きやんだりするので落ち着くみたいだ)たちに出会い、おしゃべりを楽しむ場でもある。
特に夜中、授乳間隔が近い人たちには必ずといっていいほど何度も出会い、お互い、その労をねぎらったりして笑い合う。十人十色の出産時の様子を報告し合う。3人目、4人目の経産婦さんも多く、子供が増える楽しさや大変さの話を聞く。
みな、赤ちゃんにおっぱいをあげながら、平和な会話を楽しむこのスペースは、今思うと、雲の上に存在していたかのような、日常から遠くかけ離れた夢の中のような、そんな場所であった。

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授乳サロン。空いてたときに撮っちゃった。
一家にひと部屋、ほしい。


その後も特に問題なく、退院後も赤子はスクスク。私の体の回復もひとり目より早い。
そして何より、母、妹、配偶者のサポートに感謝だ。
お見舞いに来てくれたり、御祝いを送ってくれた友人たち、家族、そして早速遊びに来てくれた友人たち、ママ友&ご近所さまたちも、ほんとにありがとう!
感謝しつつ、こんな感じで、おそらく最後になる出産レポを、終わります。
ほんとに長々、失礼しました。記念、記念。

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先日さっそくウチで夜御飯をご一緒した、毎度毎度のMちゃん母子からもらった
ゴディバのチョコアイス!激ウマ!(左)
いつも気にかけてくれるご近所お花やさんが届けてくれたお花。
見てると、ついニコニコしちゃうかわいさ。(右)


(11:00)
1●念のため入院

「子宮口が、もう4センチくらい開いております。いつもとちょっとでも違う痛みがあったり、張りが強かったりしたら、すぐに入院準備して病院に来てください。」

と脅されたのが、出産予定日の約1ヶ月前。

それから特に何も変わりなく、週1回の健診をこなした。・・・といっても腹にいる子はすでに2900グラムを超えている、との医師の診断だったのだが。
身長152cmの私には、お腹に5キロくらいのお米をズシリと抱えているような重みをリアルに感じる毎日であり、外出は上の子の保育園のお迎えのみ、という日々が続いていた。

そして迎えた予定日1週間前の39週健診の日。
「子宮口、さらに開いております。痛い、と思ってからタクシー呼んで、では間に合わないと困りますので入院をおススメします」

痛みもなければ、水も破ってない(破水)のに、入院?
とは思いつつも、ここまで脅されては入院したほうがいいんだと小心になり、言われるがままに、そのまま入院。入院準備グッズを家族に持ってきてもらい、いきなり、陣痛部屋へ拉致された。

痛くもないし、破ってもないのに。
ただ、くしゃみが出て、目がかゆくて、鼻が詰まってるだけなのに。
産科じゃなくて耳鼻科に行きたいのに(花粉症)。

「トイレにひとりでこもらないでくださいね、そのまま産んじゃう人もいますから」
冗談のようなこという助産師さん。
「ときどき、高校生がトイレで産んじゃった、っていう話、聞きますもんねえ」
と、談笑を試みるも
「ほんとに。トイレって開放的になりますから」
と、いたって、助産師さんは真顔。トイレでは産みたくない、とこの時、初めて本気で思った。

陣痛部屋のテレビで紀香&陣内のニュースやWBCのキューバ戦をボケーっと観つつ、時々、NST(赤ちゃんの心音やお腹の張りをチェックする機械)をつけながら、陣痛がくるのを待つ時間が流れていった・・・。

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時間があっという間に過ぎたのは、WBCのおかげかもしれませぬ。
イチローと松坂とダルしか知らなかったけど。


2●何処も悪くないのに入院すると。

「病室に移りましょう」
と、夕方ころ、病室に移動。

でしょうね。子宮口が開いてます、と言われてから、3週間たってもウンともスンともいわなかったお腹が、突然、陣痛部屋に連れてかれたからといって、ムズムズするはずもないもの。

さて。
何処も悪くもないのに入院すると、何がツラいって、笑いたいときに笑えないこと、であることがわかった。
この日は木曜日。木曜の深夜といえば、アメトーーク。
この時間だけでも個室にすればよかった、と悔やんだ。
笑えないので、泣いた。声を殺して、泣いた。
DVD発売記念スペシャルのアメトーークは出川があまりにもイキイキしすぎていた。どうして出川哲朗はアメトーークでこんなに輝くんだ。
ほんとうに、笑いをこらえるのが苦しくて苦しくて、このまま陣痛が促進されるのではないか、と期待したくらいだ。
アメトーークDVD発売日=出産予定日。縁がある。

3●テレビ漬け生活の戒め

ああ、本を持ってくればよかった、とも思ったのだが、活字は「週刊文春」「TVBros」で充分だった。臨月に入って、なぜか、文字を読むと、疲れた。
だもんで、入院2日目もテレビをつけると陣内&紀香とWBC。
しかし、私はこの日、WBCと、それよりももっとものすごい番組をいったり来たりしながら観ていた。
この日の日本VS韓国もおもしろかったが、もっともっと凄まじくおもしろかったのが、徹子VSバナナマンである。
徹子の部屋にバナナマンが呼ばれていたのである。
彼らのネタをいちいち説明する徹子。
あまりにギクシャクな2対1の構図。
徹子の結びの言葉は
「ほんとに、おふたりともお元気で。いいと思います、バナナマン」。。
ここまで面白いもの見せられておいて、最後に「お元気で」よかった、という言葉は徹子にしか出ない感想だろう。天晴。
しかし、なぜ、アメトーークDVDに「徹子の部屋芸人」が入ってないんだろうか。

ここで、私の入院生活をひとつの単語で表現してみよう。
ひと言、「パラダイス」であった。
たぶん、20代までは、「ヒマ」は最大の敵であったし許せない時間であった。多くのヨンロク世代はそんな風な方が多いのではないかと思う。
簡単にいってしまえば、時間に対して、貧乏性、だった。
が、結婚したり子供を産んだり、子を育てながら働いたり家事をしたりして、どんどこどんどこ自分の時間がなくなってると、この「ヒマ」な時間が非常に愛おしいものに思えてくるんである。
シカモ。お腹が重くて歩くのもつらかった以外、なんの苦痛もなかった出産までのあの入院生活は、好きなときに寝て、好きなときにテレビを観て、3食きちんと食事がでてきて、驚くほど何もしない生活だったのだ。

ムリヤリ考えた。これはご褒美だ、と。大きいお腹で通勤して、子の面倒をみて、家のことをしてきた、ご褒美だ、と。
そして、こう考えてしまうあたりが、まだまだ貧乏性だ、とおもった。理由が無いと、楽な生活をしてはいけない、という脅迫観念のようなものが、しっかり根付いてしまっているんだな、と。

そんなこんなでとにかくダラダラと過ごしていると、この日の夜中、「少しはしゃんとせい!」と腹からのお達しがきたかのようなことが起こった。

少々、であるがお腹が痛い。そう思った夜中12時頃。ナースコールを押し、NSTでしばらくお腹の様子を見守った。
すると、最初のうちは正常だった赤ちゃんの心音が、ある時突然、ゆっくりになったのだ。
見てくれていた助産師さんが慌ててナースコールを押し、素早く事情を説明し、他の助産師さんを呼んだ。
数人の助産師さんが到着。瞬く間に私は酸素マスクを顔にパカッとはめられ、「先生を呼んで」だの「酸素ボンベ追加して」だのとテキパキ動く彼女たちを「なになに?」と不安になりつつ、目で追っていた。
「このまま心音が下がり続けると危険なので、分娩室に移動しますね」とササッと言われ、ベッドが壁から取り外され、ベッドは担架に早変わり、暗い廊下を走り、エレベータに乗って2階下の分娩室へ向かった。このまま、ベッドに乗ったまま、空にでも飛んでいってしまうかの勢いだった。
しかし、危機的な状況ではあったけど、何もする術もない当人は、けっこう冷静になってしまうもので、なんか、医療系のドラマみたいだなぁ、と不謹慎にも思ってしまっていた。

「いちおう、先生に赤ちゃんの状態を見てもらって、NSTでしばらく様子をみます。心音が回復しなければ、お腹を開くか吸引するかで赤ちゃんを助けることになるかもしれないので、今の状況を、ご主人に連絡しといてください」
と言われ、分娩台の上から携帯で連絡をした。便利な世の中。

「へその緒が首にまきついている」
がこの日の診断だった。時々聞く話だけど、さすがに心配になり、あれこれ質問しているうちに、お腹の子の心音は回復していった。
「へその緒、とれたんですかね?」と聞くと、からまったままだとは思いますが、たぶん、緩まったか、さっきはたまたま赤ちゃんがふんづけちゃってて、血液の流れがゆっくりになっちゃったか、っていう状況だったんだと思います、とのお答え。まだ様子をみます、と2時間以上もNSTをつけて、心音の変化を見守った。心音は、ずっと正常なままだった。ひと安心、ってなことで、明け方、病室に戻った。

ダラダラした生活への戒めは、ちょっとしたトラブルと、久々の徹夜、であった。

へその緒、というのは、出産後にみせてもらったが、ゼリーみたいな素材でできていて、弾力性があるので、少々からまったくらいでは、大丈夫とのこと。
数日後、実際、産まれたときもへその緒は首にまかれたままだった。

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お世話になったNST。一体何回お目にかかったでしょう。
数えとけばよかった。


(11:00)

2005年12月23日

期間限定で公開するはずが、けっこう読んでくれてる人が多かったので
けっこう長く公開することに。

1.陣痛はいつ、どこで、誰に起こるかわからない

ダンナさんからまったくもって珍しい電話がかかってきた。
「今日、モドしちゃうくらい気分が悪くなっちゃったからもう、帰る」
同居生活をはじめて2年半、たぶんこんなに早い帰宅は初めて
という時間 、、、夜7時前に帰宅。
彼はすったリンゴを食べて、高熱にもうなされていたため、早々に床についた。
可哀想だなぁ、と思いながらも「ウツスんじゃねーぞ」と思っていた。
ら。ら。ららら。

なんとサッサと私も気分が悪くなってきたのだった。
その日は検診のあと、友人と行きつけの「シェ松尾」でランチをとっていた。
行きつけの、だ。行きつけの。
これは戻すまい、と誓っていたのだが、徐々に胃が圧迫されてく感じに。

そして午後10時、リバース。もったいない!!行きつけだけどもったいない!
ひとまずうつされたかもしれない風邪を治さねば、と思い、私も床についた。

午前0時。
あれ、お腹が痛い。これも風邪のせいかなぁ、と思いつつも
ウトウトしてたのだが、痛い、痛くない、痛い、痛くない、ってのが
なんとなく間隔をおいてやってきた。
ジンツウ?・・・いや、まさか、、でもかなりキッチリ10分間隔で
痛い、痛くない、ってのがやってきた。

午前1時。「あのぉ、、」隣でグゥグゥ寝ているダンナさんを起こし、
「お腹が痛いのですが、あなたは痛くないですか?だとしたら陣痛かもしれません」
というようなことを告げると「それ、陣痛だろ」と
トリプルアクセルくらいの勢いで飛び起きた。

それにしても最近のフィギュアは面白い。
浅田真央ちゃんは中国雑技団かシルク・ドゥ・ソレイユに入れる!!

ま、なんにせよ、予定日まであと1週間あったし、
検診では「まだもうちょっとかかるかも」と言われていたし、
風邪かもしれないし、、とモジモジヘロヘロしてたのだが、
痛い、痛くない、ってのは止まらなかった。

・・・とりあえず、タクシーを呼んだ。

あとから聞いた話だが、陣痛の前後や、陣痛中に気分が悪くなって戻してしまうことは
よくあることらしい。この日はまぎれも無く、先に産気づいたのは、
ダンナさんだった。

2.ヘイ タクシー

タクシー運転手(以下タ)「あっちの道は工事してるしなぁ、、、どうやって行ったらいいかなぁ」
我々「・・・・・・」
タ「いや、待てよ、あの道のほうがいいかなぁ」
夫「あの、彼女、産気づいてるんで急いでほしいんですけど」
タ「あ、上北沢も工事中か・・・」
無視だ・・・。明らかに聞こえているのに、「タ」は、無視した。ヒドイ。

あとから思った。産気づいた人間を乗せている、とわかった瞬間、
かなりビビって、返答すらできなかったのかもしれない。と。

3.陣痛部屋へ~ヒーヒーフー

午前2時半ころ。
病院に到着。車椅子にのって、陣痛部屋に直行。
ベッドが3つ置いてある部屋。
それぞれにテレビと冷蔵庫がついていた。
陣痛が弱くなってきたら、「あ~あ」とか言いながらテレビをつけるのだろうか。
部屋は先着者はいなく、貸しきり状態だった。

主治医が途中で子宮口の開き具合を確認。「5cmだね、いい具合だ」と微笑んでいた。
先生、昼間、まだちょっとかかりそう、って言ってたのにな。な~~
そういえば、痛いのに診察台の上に登るのはヒト苦労だった。

そうこうしてるうちに私の陣痛到来の間隔は縮まっていき、痛みも激しくなってきた。
ダンナさんは体調絶不調にもかかわらず、声かけ、マッサージ、呼吸リード、水分補給などなど
ほんとうに献身的に付き添っていてくれた。
最初や最後に言うとイヤラシイので今ここで告白しておくと、
ほんとうに、立ち合ってもらって、よかった。心づよかった。感謝だった。

そうこうしているうちに、などと軽く書いたけれども
既に太陽はとっくに登り、午前10時ころ。
隣には新たな陣痛持ちの人(って言い方はおかしいかしらん)が
入ってきていて、夫らしき人が「はい、今、●時●分、陣痛部屋です」などと言いながら
どうやらビデオをまわしている。

ところで陣痛がどれくらい痛いかというと、
出したいのに出しちゃいけないウ●コを我慢する感じ。
ここでお断りしておくが、このさき、ウ●コという文字が多数、登場するので
気分を害された方は、ゴメンなさい。メロン、とかスイカ、じゃあ、余計わからないし
ほんとうにそう思ったことを、書いておきます、期間限定だし。
人生最大の生理痛、というひともいるけど、私は生理痛がほとんどなかったのでわからない。

ちなみに、ヒーヒーフーなどと規則正しくやってる場合ではなかった。

4.分娩室へ~酸素フー~

そしていよいよ分娩室へ。時間はさっきも書いたけど午前10時ころ。
私は8時間も、痛い、痛くない、すごい痛い、痛くない、呻き声が出るほど痛い、痛くない、
を、繰り返していたことになる。痛くないときは、ただひたすら、水を飲んでいた。
あ、あとさっき書き忘れたけど、陣痛部屋にいるとき、1度、また、すごい勢いで、吐いた。

分娩室では、いわゆるおマタを開いて仰向け、ではなく
右横向きに寝かせられ、左足をもちあげられたかっこうで
陣痛がきたら、イキむ、という作業をさせられた。
「やった~!イキんでいいんだ!出していいんだ!」
と、まず、思った。が、そう簡単には出てくれないのでした、、、。

イキむたびに、大声が出た。ギャーとかワーとか、ア行+音引き的な声が。
「声だすとエネルギーが散っちゃうから、なるべく息とめていきましょう」と
助産師さん(ちょっとカワイイ)にいわれ、若干だけど我に返った。

痛くなったらすぐイキむ~♪
その繰り返しがはじまった。どのくらいやったんだろう。
答えは、出るまで、だから3時間半くらいだ。

とにかくなかなか出てこなくて、横向き体制から、ダンナさんの背中によっかかる
ウ●チングスタイルに変えさせられたり、足の開き具合を調整したり。
でも、お産は進まない。痛くなってイキんで、、が続いた。
イキむたびにダンナさんのお手々を折りそうなくらい、握っていた。
悪いなぁ、と思うくらいの余裕は、あった。
たぶん、2時間くらいたった頃、、、力尽きそうだった。

で、酸素を鼻から注入された。そしてスタイルを、あのオーソドックスなヤツに
させられた。恥ずかしいヤツだ。
しばらくして助産師さん(ちょっとカワイイ)が、「頭が見えてきたよ、がんばって」
と、言ってくれた。「わーい!もうすぐだ!」と思ったら、次に
「くるみの大きさくらいのね!」・・・。それ、ほんとに頭なのかな。まだまだか、、

痛くなったらすぐイキむ。鼻から酸素をすってイキむときに息を止める。
この作業を繰り返す時間が、終わらないんじゃないか、ってくらい、続いたけど
ついに「頭が出たよー」という声が、かかる。「見える?」と質問される。
見えても見る余裕がない、と悟った私は「見えません」ではなく「見ません」と答えた。
すると、隣でダンナさんが、ソッチのほうを覗きこんでいた!! 
見たそうだ。頭だけ出てるのを・・・。スゲエ。

頭がでたからもうあとはスルっといくだろう、と思ったのだが、
ここからがまた長かった。まぁ、これまでの長さにくらべたら短かったんだろーけれども。

5.切る、切らない、の話

例の場所を切ったのか、切らなかったのか、(会陰切開、という)
切ったとしたらそれは痛かったのか、縫う時も痛いのか、という質問をよくされる。

私が産んだ病院では、切らずに済むのなら、切らない、そうだ。
ていうか、良く考えたらそりゃそうだ。切らずに済むのなら切りたくない。
ちなみに私は、切った。切って縫われたけど、痛みは局部麻酔をしてるので
感じなかった。縫うときに、あ、いま、ひっぱられてる、ってくらいの感覚はあった。

同じ病室にいた人は切らずに済んだらしいが、
待てど暮らせど赤ちゃんがでてこないので、「もう、いいから切ってください!」
と、懇願したそうだ。赤ちゃんが出やすくするために切るのだから、正当なお願いだが、
結局、切らずに、産んだそうだ。

私の知り合いは、切らなかったけど、自然に裂けちゃって、それはそれで
とっても痛かったそうだ。聞いただけで、とっても痛そうだもんな。

ちなみに、切る&縫うのときだけ、お医者さんが、やった。
あとは、ぜーんぶ、助産師さんが、出産のあれこれをやった。
「助」なんて字がつくのに、出産のあれこれを、全部助産師さんがやるとは、知らなかった。

6.というわけで、ラストスパート

頭まで出た。

それから何回イキんだんだろう、、助産師さんがあとはひっぱって出してくれるのかと
思ったのに、自分の力だけで出させられた。

全部出た瞬間。13時25分。
痛い、痛くない、から約13時間。
は~~、やっと終わった~~。と、ホッとしたのが最初の感想だった。
泣き声を聞いても感動という感情の入る隙なく、とにかく、「終わった」と
深い呼吸をしながら(してないけど)ひたすら、思った。

すぐ、赤ちゃんが私の胸元へ運ばれた。
ある程度はタオルで拭いてくれたみたいだけど、ところどころにまだ血がついてる赤ちゃん。
カンガルーケアといって、産まれてすぐ、赤ちゃんはお母さんの心臓の近くに来て
その音を聞いて安心することで、情緒が安定するそうだ。
「おっぱいあげてみましょうか」 へ? 助産師さんが笑顔でそう言った。

ちょっと、カワイイ、助産師さん。
母の想像だと、ふだんはヤンキーだけど、立派な仕事をしているプライドがあり、
充実した人生を送っている助産師さんにちがいない、そうだ。

そして、吸った。すごい。ここで、初めて、感動してしまった。
この世に出てきてすぐ乳を吸った!なんじゃこりゃ。

赤ちゃんが出てきて間もなく母と妹と甥っ子が分娩室に入ってきた。
胎盤が出てくるのを、親族に見られた。まあ、いいか。

私は出血多量のため、出産後4時間くらい、分娩台に寝かされたままだった。
貧血で点滴を打たれ、ひとりでは歩けなくなっていた。
次の日の夕方くらいまで、トイレに行くのも車椅子だった。
情けないが、もっとひどい貧血だったひとや、産んでから高熱が出てしまったひと、
腰痛でもっとしばらくひとりでは歩けなかったひと、などと
入院中に出会ったので、私なんかは、軽いほうだったのかもしれない。

産んだ直後から母子同室なので、徹夜で産んで、その日から徹夜に近い状態で育児開始。
貧血だったから寝ながらおっぱいあげてた。これが、ツラかった。
その翌日、あまりに真っ青な顔していた私を見るに見兼ねたのか、
3時間だけ、ナースステーションが
赤ちゃんを預かってくれました。

ま、でも、赤子の寝顔を見てれば疲れなどは、吹き飛ぶ、ってもんであります。

7.おわります

そういうわけで、ただつらつら書きなぐってしまったレポートを終わります。
読みにくい箇所など、ごめんなさい。
質問や疑問など、直接メールくだされば答えます。

1ヵ月くらいはこのまま公開しておこうかと思います。

産まれた赤ちゃんは、とてもとてもイトオシイです。

では、よいお年を!

(14:57)