2009年04月10日

1●念のため入院

「子宮口が、もう4センチくらい開いております。いつもとちょっとでも違う痛みがあったり、張りが強かったりしたら、すぐに入院準備して病院に来てください。」

と脅されたのが、出産予定日の約1ヶ月前。

それから特に何も変わりなく、週1回の健診をこなした。・・・といっても腹にいる子はすでに2900グラムを超えている、との医師の診断だったのだが。
身長152cmの私には、お腹に5キロくらいのお米をズシリと抱えているような重みをリアルに感じる毎日であり、外出は上の子の保育園のお迎えのみ、という日々が続いていた。

そして迎えた予定日1週間前の39週健診の日。
「子宮口、さらに開いております。痛い、と思ってからタクシー呼んで、では間に合わないと困りますので入院をおススメします」

痛みもなければ、水も破ってない(破水)のに、入院?
とは思いつつも、ここまで脅されては入院したほうがいいんだと小心になり、言われるがままに、そのまま入院。入院準備グッズを家族に持ってきてもらい、いきなり、陣痛部屋へ拉致された。

痛くもないし、破ってもないのに。
ただ、くしゃみが出て、目がかゆくて、鼻が詰まってるだけなのに。
産科じゃなくて耳鼻科に行きたいのに(花粉症)。

「トイレにひとりでこもらないでくださいね、そのまま産んじゃう人もいますから」
冗談のようなこという助産師さん。
「ときどき、高校生がトイレで産んじゃった、っていう話、聞きますもんねえ」
と、談笑を試みるも
「ほんとに。トイレって開放的になりますから」
と、いたって、助産師さんは真顔。トイレでは産みたくない、とこの時、初めて本気で思った。

陣痛部屋のテレビで紀香&陣内のニュースやWBCのキューバ戦をボケーっと観つつ、時々、NST(赤ちゃんの心音やお腹の張りをチェックする機械)をつけながら、陣痛がくるのを待つ時間が流れていった・・・。

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時間があっという間に過ぎたのは、WBCのおかげかもしれませぬ。
イチローと松坂とダルしか知らなかったけど。


2●何処も悪くないのに入院すると。

「病室に移りましょう」
と、夕方ころ、病室に移動。

でしょうね。子宮口が開いてます、と言われてから、3週間たってもウンともスンともいわなかったお腹が、突然、陣痛部屋に連れてかれたからといって、ムズムズするはずもないもの。

さて。
何処も悪くもないのに入院すると、何がツラいって、笑いたいときに笑えないこと、であることがわかった。
この日は木曜日。木曜の深夜といえば、アメトーーク。
この時間だけでも個室にすればよかった、と悔やんだ。
笑えないので、泣いた。声を殺して、泣いた。
DVD発売記念スペシャルのアメトーークは出川があまりにもイキイキしすぎていた。どうして出川哲朗はアメトーークでこんなに輝くんだ。
ほんとうに、笑いをこらえるのが苦しくて苦しくて、このまま陣痛が促進されるのではないか、と期待したくらいだ。
アメトーークDVD発売日=出産予定日。縁がある。

3●テレビ漬け生活の戒め

ああ、本を持ってくればよかった、とも思ったのだが、活字は「週刊文春」「TVBros」で充分だった。臨月に入って、なぜか、文字を読むと、疲れた。
だもんで、入院2日目もテレビをつけると陣内&紀香とWBC。
しかし、私はこの日、WBCと、それよりももっとものすごい番組をいったり来たりしながら観ていた。
この日の日本VS韓国もおもしろかったが、もっともっと凄まじくおもしろかったのが、徹子VSバナナマンである。
徹子の部屋にバナナマンが呼ばれていたのである。
彼らのネタをいちいち説明する徹子。
あまりにギクシャクな2対1の構図。
徹子の結びの言葉は
「ほんとに、おふたりともお元気で。いいと思います、バナナマン」。。
ここまで面白いもの見せられておいて、最後に「お元気で」よかった、という言葉は徹子にしか出ない感想だろう。天晴。
しかし、なぜ、アメトーークDVDに「徹子の部屋芸人」が入ってないんだろうか。

ここで、私の入院生活をひとつの単語で表現してみよう。
ひと言、「パラダイス」であった。
たぶん、20代までは、「ヒマ」は最大の敵であったし許せない時間であった。多くのヨンロク世代はそんな風な方が多いのではないかと思う。
簡単にいってしまえば、時間に対して、貧乏性、だった。
が、結婚したり子供を産んだり、子を育てながら働いたり家事をしたりして、どんどこどんどこ自分の時間がなくなってると、この「ヒマ」な時間が非常に愛おしいものに思えてくるんである。
シカモ。お腹が重くて歩くのもつらかった以外、なんの苦痛もなかった出産までのあの入院生活は、好きなときに寝て、好きなときにテレビを観て、3食きちんと食事がでてきて、驚くほど何もしない生活だったのだ。

ムリヤリ考えた。これはご褒美だ、と。大きいお腹で通勤して、子の面倒をみて、家のことをしてきた、ご褒美だ、と。
そして、こう考えてしまうあたりが、まだまだ貧乏性だ、とおもった。理由が無いと、楽な生活をしてはいけない、という脅迫観念のようなものが、しっかり根付いてしまっているんだな、と。

そんなこんなでとにかくダラダラと過ごしていると、この日の夜中、「少しはしゃんとせい!」と腹からのお達しがきたかのようなことが起こった。

少々、であるがお腹が痛い。そう思った夜中12時頃。ナースコールを押し、NSTでしばらくお腹の様子を見守った。
すると、最初のうちは正常だった赤ちゃんの心音が、ある時突然、ゆっくりになったのだ。
見てくれていた助産師さんが慌ててナースコールを押し、素早く事情を説明し、他の助産師さんを呼んだ。
数人の助産師さんが到着。瞬く間に私は酸素マスクを顔にパカッとはめられ、「先生を呼んで」だの「酸素ボンベ追加して」だのとテキパキ動く彼女たちを「なになに?」と不安になりつつ、目で追っていた。
「このまま心音が下がり続けると危険なので、分娩室に移動しますね」とササッと言われ、ベッドが壁から取り外され、ベッドは担架に早変わり、暗い廊下を走り、エレベータに乗って2階下の分娩室へ向かった。このまま、ベッドに乗ったまま、空にでも飛んでいってしまうかの勢いだった。
しかし、危機的な状況ではあったけど、何もする術もない当人は、けっこう冷静になってしまうもので、なんか、医療系のドラマみたいだなぁ、と不謹慎にも思ってしまっていた。

「いちおう、先生に赤ちゃんの状態を見てもらって、NSTでしばらく様子をみます。心音が回復しなければ、お腹を開くか吸引するかで赤ちゃんを助けることになるかもしれないので、今の状況を、ご主人に連絡しといてください」
と言われ、分娩台の上から携帯で連絡をした。便利な世の中。

「へその緒が首にまきついている」
がこの日の診断だった。時々聞く話だけど、さすがに心配になり、あれこれ質問しているうちに、お腹の子の心音は回復していった。
「へその緒、とれたんですかね?」と聞くと、からまったままだとは思いますが、たぶん、緩まったか、さっきはたまたま赤ちゃんがふんづけちゃってて、血液の流れがゆっくりになっちゃったか、っていう状況だったんだと思います、とのお答え。まだ様子をみます、と2時間以上もNSTをつけて、心音の変化を見守った。心音は、ずっと正常なままだった。ひと安心、ってなことで、明け方、病室に戻った。

ダラダラした生活への戒めは、ちょっとしたトラブルと、久々の徹夜、であった。

へその緒、というのは、出産後にみせてもらったが、ゼリーみたいな素材でできていて、弾力性があるので、少々からまったくらいでは、大丈夫とのこと。
数日後、実際、産まれたときもへその緒は首にまかれたままだった。

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お世話になったNST。一体何回お目にかかったでしょう。
数えとけばよかった。


(11:00)

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