2012年09月

2012年09月30日

2年くらい前に読んだ小川洋子の小説の中に、自分の母校でも、子供が通ってるわけでもない学校の運動会をめぐるのが趣味という女性が主人公のお話があるのだけど、すごくわかるような気がする。

6歳〜12歳、たった6年〜12年しか生きてない子ども達だけど、彼らのがんばりとその成果を瞬時に感じとれる運動会は、清々しい感動で包まれる。運動が苦手な子もいるだろう、なんでみんなで人前で踊らなくちゃいけないの、と気分が落ちてる子もいるだろう。けれど、運動会が終わったあとの子ども達の顔は、ほぼみんな、やりきった、ひきしまったいい顔をしていた(と思う。帰り際を見送ったから)。

特に6年生の組体操は圧巻であった。6年間のすべての想い出の喜怒哀楽が詰まった、ドラマがあふれた演技だった。

それから、先生達のがんばりにも惜しみない拍手を送りたい。娘の小学校は20代〜30代の若い先生が多く、どの先生が好みか、っていう話を配偶者としていたが、ほんとに若さ爆発、魅力的な先生が多いのだ(私はT先生、彼は入学式のときから目をつけていたというO先生にそれぞれの想いが落ち着いた)。

子育てがひと段落したころ、運動会の季節の土曜とか日曜に、地図を片手に「文」の地図記号を指差してキョロキョロしている老女がいたら、それは私である。

さて台風本番。配偶者は仕事で外出中だが。


(21:42)

2012年09月27日

今日のアメトーーク、深い。人生だ。
続きはまた。

(23:57)

2012年09月26日

自宅マンションのエレベーターで隣々人(となりのとなりの人)と居合わせた。私より少し年下で、子供は上が同い年の女の子、下はうちより2つ下の男の子がいる。私のさげてた頭陀袋(写真参照。で、ここで頭陀袋の意味をしらべて、ほー、となる)を見て
「おー、その本屋いいよねー。しかもヴァージニア・ウルフ!」とすかさず食いついてきてくれた。オシャレでフランス(語)好きで音楽好きで、肝心なところで気が合い共通点がみつかる、とにかく明るくておしゃべり大好きなマンション友だち、Kちゃんだ。
IMG_2305

この街に住んで9年、このマンションに越してきて3年が経った。井の頭線は高校時代使ってたけど、井の頭公園すら行ったことがなかった。不動産屋で適度にすすめられて、最初は小さなアパートを借りたのだった。子どもが産まれるまで2年半くらいは、朝から夜遅くまで雑誌をつくる仕事を続けていたので、アパートは夜眠るだけに使われた。休みの日も、この街はとても静かで娯楽はないので、主に渋谷、下北沢、吉祥寺にでかけていた。

けれど2005年12月、第一子が産まれてから、この街は「寝床」から「住処」となった。驚くほど街に知り合いや友だちができた。それも一気に。

縁もゆかりもない、偶然住んだ街だったけど、ここに来たわけは、ここに住む人たちと出合うためだったのだと、年を経るごとに思うようになった。

家族ぐるみでお世話になっている駅前の定食屋さん。私が仕事復帰を決め、娘が明日から保育園、というとき、ざめざめと泣く私を慰め、元気をくれたお花屋さん。子ども達(特に下の子)が名字(○○)をつけて「○○パパ」「○○ママ」と呼んでなついてるファミサポさん。残業なのにファミサポさんがつかまらないとき、子ども達を預かってくれ、私の夜ごはんまで用意してくれる、長い人とはもう7年近くの付き合いになるママ友たち。

住めば都というけれど、もうずっとずっと前から一緒にいたような、同じ場所で生活してきたような人たちに囲まれているこの暮らしは、それ以上に恵まれているように思えてならない。

勤務先は遠いし、旧友たちとも遠くなってしまったけど(つっても多く見積もっても1、2時間で会える人ばっかなんだから遠かない!)、偶然が必然となった、この街で住む幸せも大事にしたい。この先いろいろ変わっていくことがあるかもしれないけど、ここは私の第二の故郷なのだ。

(23:04)

2012年09月24日

どっかに体育会系の血が流れてて
それが邪魔したりすることもあるけど
そんな血を大事にしたいというときもあって。

だから体育会系のひとは、嫌いじゃないの、ぜんぜん。

娘のチアダンス部の保護者会でおもったこと。

熱心なコーチの話に、ちょっとウルウルしてしまった。
地域ぐるみとか、「自分の子だと思って」とか、
うざいと思うひとはうざいと思うかもしれないけど、
時にはそういうの、だいじなんじゃないかとおもって。
他人の子をちゃんと面倒みて、地域貢献なんてなかなかできることじゃない。

なんだ、なんか詩みたいになってしまった。

いつかちゃんと記そう、部活っていいもんだ、ってこと。

(23:58)

2012年09月22日

毎年毎年消化不良なので、絶対観ない、というのが今年も我々夫婦の誓いであった。

……「バイきんぐ」というコンビを初めて見た。おもしろかった。
そう、結局なんやかやで途中から見てしまった。配偶者も、聞けば徹夜かもな仕事量が残っているのに、見てしまった。

バイきんぐの1回目を一緒に見た娘から「このひとたちが、一番おもしろいね」という言葉が聞けたのも収穫だったし、ついどこの事務所にも属さない、しかも劇団くくりで出て来た「夜ふかしの会」という5人組につい想いを込めてしまい、己の“小劇団およびインディーズ応援魂”みたいのをガッツリ確認してしまったりもした。

(小劇団だのインディーズだので思い出したが、ツイッターの、http://de.twitter.com/SubculGirl_bot
が、すんごいおもしろい。7割くらい当てはまってて、こわい。)

しかしながら、バイきんぐの2回目は、もうちょいだった。確かに優勝は彼らしかあり得なかったとは思ったが、16年もやってんだから、他にネタはなかったのだろうかと少々残念にも思った。

コントがお笑いのなかでも、どんだけいろんな要素(演技力だの構成力だの)を要求され、どんだけ修練が必要なのかはわかってはいるのだけど(なんでわかってんの?って言われればわかんないけど)、難しいものだからこそ、完璧なものを見ると感動が大きい。その、感動を求めてはいけないのだろうか。

てか、いつもお笑いの話になると、熱くなって、「なんで?私だれ?何様?」ってなる。ま、ただ単に、芸人という職業を本気でがんばってるひとは、応援したいし、好きなのだ。

そんな感じで今年もやや消化不良で、心の隙間を埋めるのはこれかね、とボタンを押した録画映像は2008年のM−1の敗者復活戦のオードリーとハライチ。ほんとはサンドウィッチマンを見たかったが、見あたらず。が、満足満足。


テレビに鈴木保奈美が。46歳か。すんごいキレイ。

(23:45)