2009年04月

2009年04月30日

「○○です」
玄関のベルに応えると、
聞いたことのない苗字で名乗る
来訪者の声が届いた。

「え、どちらさまですか」
もう一度尋ねても、同じ苗字で応えるドアの向こうの声。

おそるおそる覗き穴に目を近づけると、
見えたのは、駅前の定食屋さんのおばさんであった。

そうか。苗字を知らなかった。

「苗字がわからなかったから、
洗濯物見て、ここかな、って思ったのよ」
定食屋さんが言った。お互いさまだ。

「出産おめでとうー」
定食屋さんで焼いてるたい焼きと
長女に文房具雑貨を持ってきてくれた。
そして、生後1ヶ月の赤子をだっこしてくれた。

この定食屋のおばさんの
娘&孫(長女と同じ保育園に通ってる)も
先日、いちごとトマト(←長女のリクエスト)を
持ってきてくれたんだった。

子ができるまでは想像もしていなかった
地域の交流に心温まる。

心(体も)温まるシリーズを、ふたつ。
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リンクさせてもらってる
◇Xin chao! M&N◇のNちゃんがくれた
手作りのブックカバー。愛用中。カワイイ!
なかなか本が読めてないけど、、


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そして、愛飲している
東洋茶館 三國屋善五郎のお茶たち。


(10:31)

2009年04月18日

http://www2.ezbbs.net/06/ameame/

観てるひと、こちらでよろしく!
私も観てるひとのブログに
コメントしてるんだけど、
それでは足りないので。。。

(11:08)

2009年04月15日

「水嶋ヒロシって誰?」

ほとんどテレビを見ない、
芸能関係にはとことん弱い友人が
絢香の結婚のニュースだけはキャッチしたらしく、
こんな質問をしてくれた。

それ以来、彼が話題にのぼるとき、
我が家では必ず「シ」を付けるようになった。

ちなみに彼女、「はるな愛」も「羞恥心」も
知らなかった。

今後もその生き方を貫いてほしいです。


(11:49)

2009年04月13日

乳飲み子がいると、
しばらくはいろんなことができない。
ライブや映画やなんかには気軽に行けない。
子の1ヶ月健診まではろくに外出すら許されない。

でも、こういう時期は今だけだ、と考えると
とっても貴重な時間だなあ、とジワジワ思う。

が!これはさすがに行きたかった。

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↑昨日、芝田山親方のトークショーが
近くのデパートで行われたのでした。

外出できないとはいえ、
上の子がいるとそうも行かず、
自宅前の駐車場でシャボン玉。

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親方、また、来てください。


(11:13)

2009年04月10日

4●それから4日間は

また「パラダイス」な生活に戻った。また何かトラブルがあるかもしれないし、と、退院も許されず、ただ、陣痛or破水がくるのを待つのみ、の日々。
3歳の娘は昼間は保育園におり、その他の時間は、祖母や父親にたっぷり甘え、私の妹の家(彼女の従兄弟もふたりいる)に泊まったりもして、楽しく遊んでいたようで、赤ちゃんがえりも特にないようだった。気丈なもんだ。こっちが寂しくなった。

そして予定日を翌々日に迎えた3月23日に主治医との面談があった。
「明日、下剤を飲んで陣痛を促進してみましょう」。
下剤で陣痛促進、なんて初めて耳にした。初耳、ってやつだ。
『ひまし油』という、油を飲むんだという。
ひとり目妊娠中に子宮筋腫の核出手術をした際、一度お腹を開いた私には、陣痛促進剤は使わない方がいい、とのことだった。
そのかわりに下剤、だ。腸をキレイにして、赤ちゃんが下りてきやすくするんだそうだ。なんとなく、イメージできる促進方法だなあ、と妙に納得はしたのだが。下剤とは。


5●予定日前日

WBC決勝の日。朝から陣痛部屋に移動した。ふたり部屋だが、他に人はいず、完全個室状態。
入院してから何枚目かのテレビカードを購入し、WBC観戦体制を整えた。
そして、次に腸を整えた。
すごい。『ひまし油』の食感は、まさに油であった(味を楽しむのは極力避けた)。100mlくらいだっただろうか、ゴクゴクと胃へ流し込んでものの15分もしないうちに、私はトイレへ直行。その後、昼食をはさんで、4~5回、トイレへかけこんだ。
いやー、にしても、WBC。普段、全く野球などテレビで見ない私のような人でも、こぞってテレビに釘付けになり、この感動のドラマを目の当たりにしたのだろう。ちょくちょく様子を見にきてくれる助産師さんも「どうなってます?」とゲームの行方が気になっていたようで、私のテレビでチェックし、ナースステーションにて報告、皆で盛り上がっていたそうだ。
なんだか見ていられないようなシーンになると、私はすかさずNHKヘチャンネルサーフィンし、高校野球を見て心を落ち着けた。高校球児たちもほんとはWBCが気になって気になってしかたないんだろうなあ、とその気持ちを共有しながら。
優勝が決まった瞬間。泣いたでしょう、これは。誰でも。ナースステーションにすぐ報告に行こうと思ったけど、行けなかったもの。泣いちゃって。

そんなこんなであっという間に夕方になったけれども、まったくお産が進んでる様子はなかった。
次の手はこれであった。
「お風呂入りましょう」
檜風呂に湯がはられ、私はそこであほみたいにボケーッとお湯につかった。
温めることで、子宮を収縮しやくするんだそう。これは本で読んだことがあった。本では、お腹が張りやすくなるので、長風呂はやめましょう、みたいなことが書いてあった。下痢とか長風呂とか、通常の妊娠生活中ではややタブーなことを次々と試してる感じだ。
しかし、風呂、気持ちよかった。

夕食も終え、引き続き陣痛部屋は個室状態。ゆったり、ゆっくり。ほんとうにのんびりと過ごしたこのパラダイス生活も、もうそろそろ終りを迎えようとしていた。
夜7時。ロンドンハーツ10周年記念スペシャル。個室なので、多少声を出して笑えたのがよかったのか何なのか、お腹の張りが頻繁になってきた。が、まだ痛みはない。引き続き、ロンドンハーツ。10時の終了を前に音楽番組にチャンネルを変えた。嵐だ。嵐は5人とも可愛いなあ。可愛いなあ、と思った瞬間くらいから、あれ、ちょっとお腹痛いかも。と思い始めた。助産師さんを呼んでNSTをつけてもらい、様子を見ることに。

あっという間であった。痛みはきちんとした痛みとなり、間隔も10分きっちりになり、
「分娩台のほうが落ち着きますから」
と、本格的な痛みを迎える前に移動した。

年度末だからか、空いているらしく、ほぼ、分娩部屋は空いていたようだった。だから、静か。
分娩台にペットボトルのお茶と携帯を乗せて、痛みの間に交互にそれら手にとりながら、飲んだり、メールしたり。
そして、もちろん、配偶者に電話をかけた。電話をかけたのだが繋がらない。家にも携帯にも繋がらない。11時くらいから、2時間以上、かけ続けたのだが、繋がらない。
「絶対、寝ている。娘を寝かしつけて、そのままテメエも寝ている」
というのが私の推測であり、真実であった。まあ、出産が夜中になったらひとりで産むつもりでいたのでいいのだが、電話が繋がらないとは思わなかった。
11時半頃、メールをくれた友だちと電話で話をしていたころには、かなり痛みも強くなり、ああ、もっと痛くなるんだっけなあ、この程度ならいいのになあ、と思うくらいの余裕があったが、甘かった。痛みを超えた痛み。腰が割れそう、ではなく「絶対割れるから早く産んでしまいたい」と思う痛み。助産師さんがマッサージしてくれるも、残念ながら上手なひととそうでないひとがいて、上手なひとにその場を離れられると、どうしようもなくなって、痛い、痛い、と声を出して呼んでしまう。

夜中2時を過ぎ、「まだイキんじゃだめですか」と問うと、「破水するまで待ちましょう」との答え。
そのとき、携帯電話が震えた。配偶者からの電話だった。声を殺しつつ、「いま、もう痛みのピークだからいつこの電話を手放すかわからなくってよ」と言ってる最中に、もう叫びに近い声が出ていて、そして、次の瞬間なんと、破水した。
「破水したから切る!」と電話をたたみ、さっそくイキみ体制。こんなに痛かったっけ?こんなに痛かったっけ?とだまされたような気分になりつつ、とにかく早く出したい、とイキむ。「へその緒のことがあるから」と前回同様、また鼻に酸素を注入させられながら、そして、今回は絶対叫ぶまい、と思ったのに全くダメでぎゃあぎゃあと叫びながら、破水して30分後、赤ちゃんは出てきてくれた。
「終わった・・・」
ほんとうに、ひと仕事、である。出産とは、とてつもない大仕事である。仕事を、終えた。お疲れさまだ。

希望どおり、カンガルーケアをし、初乳をあげ(大きく産まれたからか、飲みっぷりはベテランの域だった)、しばらくして、助産師さんが赤ちゃんの体重やら身長やらを計ってくれた。
「大きい赤ちゃんですね」と助産師さんが体重計に入った赤ちゃんを目の前まで持ってきてくれた。その数値をみて、もういちど、疲労が私を襲った。体重計には3600という数字が赤く輝いていたのだ。
「どうりで・・・もう、臨月は歩けないほど重かったのです」と助産師さんにため息まじりに伝えると、152cmという小さな私のなかによくぞ入っていた、よくぞ下から産んだ、と褒めてくれた。
そして、はたまた前回同様、私は貧血となり、車いすで病室へ戻った。

この病院は24時間母子同室で、もっとひどい貧血になった前回は、赤子を預かってはくれず、立てない私にいきなり添い乳を教育した、スパルタな病院である。が、今回は前回ほどひどくはなかったのに、病室にはいる前に4時間も預かってくれた。助かった。高齢出産にはありがたいことであった。3年前より優しくなってた。

6●赤ちゃんとの入院生活

出産日を含め6日間の入院生活は、私にはとても特別なものであった。ほんとうは、トシもトシだし、産後は体を休めようと、母子別室の病院を最初は希望していた。が、一度お腹を切っていても自然分娩で産みたいという希望をかなえるため、3年前と同じ、この病院に変更した。
正直、24時間母子同室合宿かあ、と変更を決めたときは少々気持ちは落ちたが、ふたり目という余裕も手伝って、24時間べったり、赤ちゃんのことだけ考えてればいい、という時間はなんだか、とても温かい時間であった。

授乳は自分のベッドであげてももちろんいいのだけど、私はこの病院の授乳サロン(授乳やおむつ替えが出来る共有スペース)が大好きで、今回も多いに利用した。
ここは、ゆったりと音楽が流れる広々としたこの空間で授乳すると落ち着く、という同じ思いのママ(赤ちゃんもここへ着くと泣きやんだりするので落ち着くみたいだ)たちに出会い、おしゃべりを楽しむ場でもある。
特に夜中、授乳間隔が近い人たちには必ずといっていいほど何度も出会い、お互い、その労をねぎらったりして笑い合う。十人十色の出産時の様子を報告し合う。3人目、4人目の経産婦さんも多く、子供が増える楽しさや大変さの話を聞く。
みな、赤ちゃんにおっぱいをあげながら、平和な会話を楽しむこのスペースは、今思うと、雲の上に存在していたかのような、日常から遠くかけ離れた夢の中のような、そんな場所であった。

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授乳サロン。空いてたときに撮っちゃった。
一家にひと部屋、ほしい。


その後も特に問題なく、退院後も赤子はスクスク。私の体の回復もひとり目より早い。
そして何より、母、妹、配偶者のサポートに感謝だ。
お見舞いに来てくれたり、御祝いを送ってくれた友人たち、家族、そして早速遊びに来てくれた友人たち、ママ友&ご近所さまたちも、ほんとにありがとう!
感謝しつつ、こんな感じで、おそらく最後になる出産レポを、終わります。
ほんとに長々、失礼しました。記念、記念。

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先日さっそくウチで夜御飯をご一緒した、毎度毎度のMちゃん母子からもらった
ゴディバのチョコアイス!激ウマ!(左)
いつも気にかけてくれるご近所お花やさんが届けてくれたお花。
見てると、ついニコニコしちゃうかわいさ。(右)


(11:00)