2007年12月

2007年12月20日

2歳の娘が、新聞の折り込み広告を部屋中に広げ、その中のひとつを指差し、
「おっぱっぴー おっぱっぴー」と言っていた。
どれどれ、小島よしおがどっかの店だか不動産屋だかの
広告塔にでもなったかと、指差すほうへ、近寄った。

ヤマダ電機のチラシだった。コジマと間違えたか。
いや、コジマ、なんてカタカナが読めるわけない。

彼女が指差しているのは、ヤマダのチラシ内で満面の笑みを見せる、
高島政伸でした。おしい!おしくもないか。

(22:55)

2007年12月10日

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生後数ヶ月の女の赤ちゃんを誘拐し、その子が4歳になるまで逃亡し続けた女の話。この物語は私の記憶の中に、はっきり映像として残ってしまった。登場人物たちは、本当に存在したかのように、もしかしたら何かしらの形で接触したかのように、私の過去に“実在”した人物になってしまった。誘拐犯の気持ちをここまで理解し、共感できてしまうのは、小説のマジックだ。完全なるノンフィクションが、読了後にフィクションに変わる、マジック。彼女たちが見た景色や話したことば、出会った人々が、鮮明に思い出されてしまう。この不思議な感覚が面白くて小説を読むのだ、と再認識させてくれた1冊。

8日の土曜日に読み終わり、特に最後のほう、私は自分でも驚くほど泣きながら読んでいた。次の日の朝も、思い出しては嗚咽した。あまりに入り込んだので、この小説のダメなところを挙げていこうと思った。主人公は不幸である。不幸はドラマになりやすい。あれ、よく考えたら意外と陳腐なストーリーじゃないか。4年も捕まらない。おかしい。ほんとだったらもっとはやくこの誘拐犯はつかまったんじゃないか。でも、そんなストーリー展開よりなにより、この誘拐犯と誘拐された子どもが懸命に(犯罪者が懸命、というのもなんなのだが、そこはまた小説のマジックということで)生きていくさまにのめり込み、彼女たちにとっての本当の幸せや大切なことがみえたとき、心の中で固まっていた何かが溶けていくような、どうしようもなく切なくて温かい気持ちが体中に満ち満ちていってしまったのだ。しまったのだから、しょうがない。忘れられない1冊になってしまった。

私に娘がいるからかもしれない。というか、まあ、はっきり言って、ここまでこの本に溺れたのは、その環境はものすごく大きく影響している。だけど、それにしても、あまりに衝撃を受けてしまった。支配されすぎてしまった。しばらく、考えないようにするのが難しいほどに。

(23:55)

2007年12月07日


「太陽の塔」森見登美彦■この人の、「夜は短し、歩けよ乙女」があまりに面白かったので、文庫でこの本を買った。テイスト一緒なので、ちょっと飽きそうだった。やっぱり、面白かったには面白かったけど。
「八日目の蝉」角田光代■ものすごい本を読んでしまった。別で書き留めておく。
いろいろ失った時間はあるけど、ひとまず、読書時間が増えたのは、歓迎してもいいかな、とおもう。
「私の男」桜庭一樹■読んでて気分が悪くなりそうだったけど、それだけ言葉ひとつひとつが重くて、暗くて、つらかった。父と子の、耐えがたい、寂しい話。
「ゴールデンスランバー」伊坂幸太郎■こりゃあもう、ドえらい超大作だった。何百億も製作費がかかったハリウッド映画を見たあとのような読後感。疲れた。「八日目の蝉」も逃亡者の話、これも濡れ衣をきせられた首相殺しが逃げる話。次に読もうとしてる吉田修一の「悪人」も逃げる人の話だって。逃亡三部作。師走っぽいな。なんか。

(22:31)
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こんな景色が見えるところに、毎日通っている。
あの大きな森に、好きなときに寝転がれた日々が、遠い。


(22:24)